rose cafe

何気ない愛しき日常の記録。猫との暮らし、日々のごはん、菜園日記。

最後だとわかっていてもいなくても

常に常に、何ごとも、それが最初であり、それが最後のことでもあると思いながら生きている。

昨日、そう書いたのは、この詩を知ったことによります。
何年か前に、高島大さんという方の講演会のお手伝いをしたことがあって、最後に、この詩が挿入された動画が流れましてね、そこではじめて「最後だとわかっていたなら」という詩を知りました。
(高島さんは、主役なのに、後片付けまで手伝ってくれるような、笑顔がすてきな本当にすばらしい方でした!)


最後だとわかっていたなら

 


最後だとわかっていたなら、ああしたのに、あんなこと言わなかったのに、もっとこうしたのに・・・、後悔は尽きないけれど。
この詩を知った頃は、とにかく後悔しないように、という思いでいましたが、今はちょっと違います。
どれだけ(心を、または想いを)込められたか、もっと言うと、心から愛することがもっとも大切なことだと思うようになりました。
昨年の1月に父を、12月には猫のロクを亡くしました。
やはり、さみしさはあります。
が、不思議と後悔はまったくないのです。
本当に心から愛することができたならば、後悔などはなく、あるのは五感で感じられなくなったさみしさと、ひたすらの感謝だけ、ということを父とロクに学ばさせてもらいました。

この世に生を受けた以上、いつかは体を地球にお返ししなければならず、それはすべての者の定め。
この世界にいる間に、美しい心を育てていくこと、やはり、私はそれを重要視しています。

人も動物も植物も物も、側にいてくれるのは、大きな視点で見ると、ほんの一時のこと。

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なにもかもが天からの授かりものであり、本当に、なにもかもが宝物です。